東京にいた頃の「偏見に満ちた自分の感覚」を大いに反省している、今日この頃

キャリア


アメリカに来て1か月、3歳の娘を現地のデイケア(保育園)に入れて3週間経ちました。今、娘の状況は下記つぶやきの感じです。


先生の話では、登校してしまえば楽しそうに過ごしてますよとのことですので、あまり心配はしないようにしています。


でも、東京の保育園では、あんなにニコニコ通っていたのに、やはり毎朝、毎朝「行きたくないよー」と間接的に言われるのは、やはり親として心配なところです。

帰国子女は、親から子への「最高のGift」!?


子供が現地の学校に馴染むこと、そんなに簡単ではないようです。今、振り返ると、アメリカ行きを決めた時の私の感覚は少し誤っていたと反省しています。例えば、帰国子女に対しての偏見について。


もともと私は商社に勤めていましたが、職業柄、帰国子女の社員も多く、彼ら彼女らを見ていると、「流暢な語学力」「自然に!漂うインターナショナルなバランス感覚」と、うらやましいポイントばかりでした。


ある意味、ドメスティックな環境で、コツコツと英語を勉強してきた身からすると、帰国子女は、たまたま親の職業や仕事の都合で、「圧倒的な戦闘力を苦労せずに手に入れている」存在です。


だからこそ、今回のアメリカ帯同で、我が娘に帰国子女となるような環境を整えてあげられることは、親から子へできる「最高のGift !!」という認識をしていました。


やはり、我が子にできる限りラクさせてあげたい。

帰国子女、「苦労せず圧倒的な戦闘力」を手にしているなんて大間違い


しかし、現実はそう簡単ではありません。自身の3歳の娘を見ていてもそうですし、より大きなお子さんのいらっしゃるご家庭の話しを聞いてみても、皆さんとても苦労されています。


少しイメージしてみると、自分が全く知識のないフランスの学校に毎日放り込まれたら、3日で爆発しそうです。全く語学のできないような状況で、新しい文化に溶け込み、そして現地語と日本語両方を磨く努力をする。単純に言えば、日本で過ごす子供の2倍の分量の学習をこなさないとならず、ストレスは相当のものかと思います。


そして、帯同中だけでなく、帰国してからも今度は日本の学校に馴染めるのか?という問題が出てくるでしょう。海外とは違う日本の小学校のカルチャーに馴染めるのか、これまた一筋縄ではいかないことが予想されます。

帰国子女に対して、「うらやましい」と軽々しく言っていた自分


上手くいけば「結果的」に、流暢な語学力とインターナショナルなバランス感覚という「最高のGift」を手に入れられるのだと思いますが、それは、ご本人とそして親御さんの相当の努力の上に、色々な幸運が重なっての単なる「結果」に過ぎません。


そして、そういった超ラッキーな事例を見て作られた帰国子女のイメージ像に引っ張られ、帰国子女全体が、あこがれの存在になっているように思います。昔、帰国子女の方に対して「帰国子女、いいよねー。うらやましいよ。」と、想像力の欠如からくる発言、しかし、本当に心の底からうらやましいと思っていた気持ちを素直に表現しただけの自分の発言が、もしかしたらその方を苦しめているものだったのかと思うと、申し訳ない気もちになります。


そして、あたかも何百人の人に言われ、定型フレーズのように「いやいや、そんなことないですよー」と、さらっと受け流していた帰国子女の対応を思い浮かべると、我が子を重ね合わせ、なかなか複雑な思いになります。

「女性の属性」からくる偏見について、自分の反省

女性は属性でカテゴライズされ、属性イメージに縛られている


そしてもう一つ、女性の「属性」についての偏見です。総合職かアシスタント職か、独身か既婚か、フルタイム勤務か時短勤務か、共働きか専業主婦か、子供ありか子供なしか、子供一人かそれ以上か、子供は男の子か女の子か・・・など。


あげればきりがないわけですが、同じ女性でも、少しずつ違う「属性」があり、このカテゴリーの人は、こんな感じというイメージがあると思います。


自分自身も、「属性」の裏にある、個人の各々の思いや価値観には思いをはせずに、このカテゴリーにおいての、それぞれ一般的な印象の中で、女性の思考や行動パターンを分類していたように思います。


そして、恥ずかしながら正直に言うと、総合職として働き、フルタイム勤務で、子供がいて、共働きしているそんな「自分の属性」を、キャリアへのモチベーション高く会社という組織においての役割を全うし、社会から求められる母としての役割もこなし、そして経済的にも自立し、高い税金を支払う形で社会へも還元することで、よき市民としての役割も果たしている、と自己評価していました。


もちろん個人によってどの様な属性が望ましい・心地よいという感覚はそれぞれあるかと思いますが、私の場合は、上記のようなあり姿が、割と「付加価値を出せてイケている」というような感覚でした。

駐妻になることは「仕事への思いはそれほどでもない」というジャッジ


今思い出すと「ぞっと」する思い出が一つあります。


もう10年ほど前の話しになりますが、金融系上場会社でバリバリ働いていた女性の先輩が、「主人が海外勤務になったので、会社を辞める」と伝えてくれた時でした。表面上は「これほどキャリアがあるのにもったいないですね。」「でも、新しい生活も楽しみですね。」というような会話をした記憶があります。


しかし私は、『結局この先輩も、仕事への思いその程度だったんだな・・・家庭優先か・・・あこがれていたのに残念だな・・・』と、心の中で呟いていました。


今思えば、おそらく先輩も、ご自身のキャリア、人生のあり方や家族とのこと、様々なことに思考を巡らせた上での結論だったと思います。


しかし、当時20代の自分は、そんな先輩の思いに寄り添うことなく、世間でいうアフタヌーンティーをするような駐妻という属性の偏見に基づき、「仕事への思いはそれほどでもない」と、ジャッジしていたように思います。なんとも自身の想像力の欠如たるやっ(そしてアフタヌーンティーすることの何が問題だったのか⁉(笑))。

自分がその立場になり、はじめてわかる思い


しかし、総合職としてフルタイムで働き、子供を育てながらの共働き、そこそこ自己評価が高い自分から、帯同という選択を迫られた時、リアリティをもってはじめて気づきました。


別に、大きな組織を離れるからといって、そして、業務というものへのコミットメントがなくなるからといって、キャリアへの思いがゼロになるわけではないのです。キャリアが大事だという思いに変化はなく、ましてそれを捨てる決断をしたというわけでもありません。別に「総合職・フルタイム」という属性がなくても、仕事への思いは変わらないわけです。


そして大切だと思っていた「属性」を手放したからといて、自己評価が下がるものでもありませんでした。自分が評価していた「属性」への価値なんて、本当に意味のないものだったと思います。私という存在が、ある日を境に「がらっ」と変化してしまう、そんな単純なものではないわけです。


今はその先輩ともコンタクト・ポイントがなくなってしまい、現在の状況を知る由もありませんが、おそらくまた違った表現方法で、ご活躍されていることかと思います。そして、自分自身もまたアメリカでの経験を通じて、新たな表現方法を身につけていくことでしょう。


大切だと思っている自分キャリアへの思いは何も変わらない、その表現の仕方が、これまで予測していた方向とはちょっと違うというだけです。新しい場所で、新しい人との関わり合いの中で、新しい方法で表現するだけです。本当にそれだけのことなのです。

偏見の背景、どうして自分は罠にはまっていたのだろう・・・


東京にいたころの自分自身が抱いていた「帰国子女」や「女性の属性」に対する偏見に対し、今は、心から反省するばかりです。当たり前ですが、人の苦労、人の心、人の思いは、表面上のイメージなんかで全く図れないものだと思います。


しかし、東京というシステマチックな社会だったからなのか?ビジネスの世界で、効率的に思考する癖がついてしまったからなのか?自分でもよくわからない要因によって、自分自身もまた、罠にはまっていたなという感覚です。


今は、もっとそれぞれの人間の心の深いところを知ってみたい。そんなん思いが溢れています。

この記事を書いた人
155naicai

▶︎ 女性のキャリア・生き方を考えるマガジン Wherever we are の管理人 ▶︎ ちょっと前までバリキャリ商社ウーマンでワーママ。2019年に起業、現在はアメリカ在住 ▶︎ 自身の東南アジア駐在、中国留学、アメリカ生活などの海外経験に基づき、海外経験から学んだ価値観も踏まえながら、キャリア・生き方・働き方など情報を発信中

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