日本で働き方改革が進む中、様々な新しいコンセプトや取り組みが海外から、また外資系企業から紹介されています。そのような報道があると、日本もそのような取り組みをするべきではないか!と話題が盛り上がるわけですが、今日は、私が感じるその違和感についてお話します。
マイクロソフトの働き方改革 「週休3日制」
『日本マイクロソフト、週休3日制で生産性40%向上』

先日、8月の金曜日を休業日とする週休3日制を試験的に実施した日本マイクロソフトが、1人当たりの売上に換算した生産性は、前年同月比で40%ほど向上したというニュースがありました。
このニュースに対して、私は 下記のような投稿をしています。
私がこのツイートで述べたかったことは、日本企業が学ぶべきところは、週3勤務いいね、日本ももっと休むべきだよねということではなく、マイクロソフトという会社がどうして週3勤務だとしても、継続的に会社を成長させ、利益を上げ続けると考えているのか?ということが議論されるべきかと思います。
生産性の向上には、労働時間を短くする、働き方を見直し無駄をなくすほかにも、そもそもビジネスモデルの構造が違う、収益構造が違う、高いアウトプットを出せる人材の質が違う、だからこのような効率的な働き方が可能なのだろうということが全体像として議論されるべきに思います。
しかし、全般的に日本企業はキャッチーな施策を取り入れることが目的化しているような傾向があるように感じてしまいます。
働き方改革の課題 日本企業が見落としがちなポイント
欧米の企業の先端的施策を、とにかく良いものとする傾向!?
現在、日本企業で取り入れられる経営ノウハウの多くは、欧米企業発祥の施策が多いと思いますが、テレワーク、One on one meeting、フレックスタイム制度など、働き方・人事施策もまた同様に欧米からの施策がほとんどです。
日本人は、未だに『欧米=学ぶべき手法』という感覚が強いのか安易な導入が良く見受けられます。これが例えば、アジア発祥の施策であったら、少し懐疑的にその現象や手法を検証し、吟味してから導入しましょうという思考が、個人また社会全体でも働くのではないでしょうか。
しかし、欧米の最先端!ともなると、我が社にとってこの施策は効果があるのか?デメリットはないか?など検証ステージはすっ飛ばし、安易にもてはやしてしまう。そのコンセプチャルな部分だけで、両手を挙げて賛成となってしまう、その様な印象です。

日本と海外 文化的・社会的なバックグラウンドが違う
そして、欧米企業の先進的な取り組みを検討するにあたって、議論すべき要素は多々あるわけですが、特に、文化的・社会的な背景も良く見落とされがちです。
例えば、アメリカの企業文化と日本の企業文化では、その前提が大きく違います。
性別、人種、国籍、障害、LGBTの違いを超えて活躍できる、働くことができる環境を目指すダイバシティの取り組み。昨今、日本でも、このスローガンやコンセプトは多くの企業で理解されていますが、その取り組みの多くは、女性活躍の施策に偏っているようにも感じます。
実際に多様化している文化において、文字通りダイバシティを目指しましょうといったアメリカ企業と、まだまだ男性社会が基本となる日系企業文化の中に、女性も入れて活躍してもらいましょうというダイバシティでは、コンテクスト(文脈)が全く異なるということです。
だかだこそ、会社としてキャッチーなダイバシティという文言を一人歩きさせても、受け入れる側の男性社員や対象となる女性社員としても違和感が残るところなのだと思います。
日本と海外 人事制度の成り立ちも大きく違う
加えて、既存の人事制度の成り立ちも大きく異なります。日本の人事制度、変化してきたとはいえ日系企業は、新卒採用・年功序列・終身雇用を前提とした人事制度を前提にしている企業が多いかと思います。
一方、諸外国の人事制度、「ジョブ・ディスクリプション(業務のスコープ)」において求める成果を明確にし、その役割に対して業務成果を評価する仕組みの方が一般的です。
私の東南アジア駐在時の経験談
私も、このジョブディスクリプションを前提とする東南アジアの国で管理側として働いたことがありますが、「ちょっと、この仕事もお願いできる?」とお願いしても、「いえ、スコープの外なんで無理です。やるなら給与上げて下さい。」と言われ、冗談半分・本気度半分で、もめるということがよくありました(笑)。
そして、現地スタッフのコントロールは、「その本人の人事評価権を握っているかどうか?」によって大きく印象が違いました。彼らからすると、「誰」の指示なのか?ということこそが重要なポイントであり、人事評価権を握るボスであれば、真っ先にその業務に取り組みます。
一方、人事評価権のない第三者からの依頼は、表面上は取り組んでおくよと快諾してくれたとしても、そのスピード感や業務の質はかなり違ったように感じます。要は、人事評価権のないような人の意見を聞いても、部下としてはメリットがなく、アクションする意味がないと考えている、という感じです。
逆に、日本に帰国してから、人事評価権もなく、たまたま横に座っている先輩の指示でも、きちんと指示を聞き行動に移す日本人の行動様式にびっくりしたくらいです。
その意味で、ここまでチームワークをボランタリーに実現しようとする国民性、また制度背景を考えると、日本でマネージメントの手法が、かくあるべきと体系化されない理由がわかるような気がしました。
一般的に、役割を明確にせずも部下は働いてしまうため、 日本の組織は、「役割を明確にする」ということに慣れていないのです。つまり、組織のミドルマネジメントがリーダーシップなど発揮しなくても、統率がある程度取れてしまうのが、日本企業の文化なのかもしれません。
日本は、「役割」も「評価する人」もあいまいになりがち
ジョブディスクリプションが明確になっていることは、実績に対する評価が明確になるということかと思います。だからこそ、極端に言えば、平日に休み、自由な働き方をしても、成果が明確に図られやすくなっているということかと思います。
その点、日本はそもそも役割定義が相当にあいまいとなっており、それを定量化しにくい状況です。だからこそ、毎日、真面目に会社に来て、席で一生懸命に仕事をし(している風を装い)、色々と付き合いが良い社員が評価されがちです。
また、上司世代としてもそもそも役割やアウトプットが明確でなく可視化されていないが為に、部下が在宅で仕事をしようものなら成果が図れず、「本当に仕事してくれているかな?」と、不安になるということでしょうか。
様々な人事制度の課題や働き方改革の難しさを考えていくと、たいていはこの「スコープの不明確さ」・「評価制度の曖昧さ」に日系企業の人事施策の課題は行き着くように思います。役割やそれに対する評価が明確になっていないからこそ、より「人間関係」や「勤務態度」そういった定性的な観点に比重を置かざるを得ないのだと思います。
皆が関わる働き方、だからこそもっと深い議論を
日本には戦後築いてきた、新卒採用・年功序列・終身雇用といった、世界的にかなりユニークな働き方、人事制度の遺産があります。それ制度自体の先行きはかなり不透明で、現在進行形で変化を求められています。そして、足元でその見直しを図ろうとした企業が参考にするのは海外の制度です。
しかし、それらを参考にするにあたっては、海外との日本との文化的な背景への理解、制度的の成り立ちなどの理解がなければ、いつまでたっても、キャッチーなフレーズだけ一人歩きしてしまいます。
施策をやる事の効果、それがどのように会社の成長や社員の働き方に影響するのか、もっと言うとビジネス全体のあり方など、より本質的な議論の上、変化していくことが、求められています。