何かを「手放す決断」は勇気がいること、でも結果的に手放してみると新しい成長やチャンスに出会うことができるかもしれない

キャリア


アメリカに来て2週間が経ちました。

アメリカで多種多様な人種が歩く街を歩いてみると、そもそも「なぜこの国に住むのか?なぜこの都市に住むのか?どんな仕事をするのか?誰と結婚するのか?何人子供をもうけるのか?」そんな人生の重大な決断もすべて、個人の選択があり、そして「そこに存在する現在のあなたは」その選択の結果のように思います。改めて、人生って自分でデザインするものなのだなと感じさせてくれます


私は、これまで留学や駐在で、過去に二度ほどアジア諸国で長期海外生活をしたことがありますが、いずれも単一文化の国でした。その地に住む人の殆どが、大きな運命の中で、たまたまその国に生まれ、学び、仕事をし、家庭を育くむというライフスタイルの中、明らかな外国人として自分が入り込む生活です。


単一文化の国家に外国人として入っていくのと、アメリカのように人種、国籍、文化、宗教が多様性に富む環境に入っていくのは、外国人としての溶け込み方の感覚が相当に違うように感じています。


それは滞在Day1から、その国でずっと生活してきた人と同じように違和感なく、街の風景に溶け込める感覚とでもいいましょうか。この空気感そのものが、この国の多様性についての奥深さをものがたり、感銘を受けずにはいられません(ちなみに、そのような環境ですので、Day1から容赦ない英語で話しかけられています(笑))。

日本の社会は、個人の人生を社会や他人任せにしやすいかもしれない


私が過去滞在したアジアの国と同じ様に、日本も人生の決断を迫られる場面、実はそれほど多くないように思います。生まれてから学校に入り、大学受験に向けて必死に勉強し、そして就職活動し、適齢期になれば結婚を意識する。昨今では、様々な選択肢が出てきて多様化してきているものの、多くの場合その決断は、一定の枠組みの中での選択のように思います。


ちょっと踏み込んだ言い方をすれば、自分の人生なのに、そのデザインすら社会の流れ任せになっており、また同調圧力も強い文化背景から、他人任せにせざるを得ない風潮や雰囲気があるということでしょうか。


社会の流れや他人任せにしてしまうからこそ、少しでも自分の思い描く姿と異なるという場合には、その現状に対して不満を言ってしまうことも多いように思います。例えば、学校が〇〇してくれない、会社が〇〇してくれない、政府が〇〇してくれないetc.。人生の不満を、個人より大きな組織のせいにしてしまう傾向です。


確かに、自分を責めずに心の平穏は保てるかもしれませんが、そんな不満を抱えて人生を送るのはやや悲しいわけです。自分の人生に対してオーナーシップを持つのは自分であると思いたいと常々感じてきました。


アメリカに来て「見た目」そのものから多様性のある場に身を置いてみると、人生の選択それぞれに、選ぶと同時に、その場を離れる選択肢があるのだなと感じます。極論、その国では幸せになれないなら、国を離れるのも選択肢だということです。そう思うと、今の学校がダメだ、今の会社がダメだというくらい、いくらでも本人が環境を変えてしまえば、ハッピーな人生を送れるように感じます。

「手放す」ということは本当に勇気のいるアクション


今の環境に不満があるか?ないか?は別としても、平穏な現状を「手放す」ことは、本当に勇気のいることです。私自身も、パートナーの転勤によってアメリカに来る前、前職での仕事、役割、ポジション、やりがい、給与、評価、出世のチャンス、将来の安定etc.、そういったものを「手放す」という決断に数か月悩みました。


当時は、アメリカに来て得ることができるであろう人生の広がりや新たな出会い、成長などよりも、圧倒的に「手放す」ものの大きさの方が大きく見えていました。


私は常々、「これまでの実績に固執せず、新しいチャレンジを続けられる。そして、新しい環境や役職にもすぐに適用し、新たな結果を出せる」そんなマインドが、優秀なビジネスパーソンとしての資質の一つとして挙げられると考えています。しかし、そんな価値観は頭でわかっていながらも、自分自身が大きな人生プランの変更を求められたとき、その判断は本当に勇気がいるものでした。


しかし、アメリカに来て2週間経ち、30歳半ばで、あらためて見るもの聞くものがすべて新しくなり、思いは変化してきています。「あのまま自分が心地よい環境にいても、成長はなかったかもしれない」そんな思いです。


今こちらに来て、新しい生活をセットアップし、自分自身、そして3歳の娘も含め新しい環境に入り込むため日々奮闘している姿を思うと、日本で、自分の事を信頼し、評価してくれる人たちと働き続ける選択をすることは、安定感のある選択だったかと思います。しかし、もしかしたら、慣れた環境の中、自分の成功体験に固執し勘違いしちゃうイケてないおばさんになりかけていたかもしれません。


海外に来て、会社という大きな看板や信用もない環境で、圧倒的に弱者な自分に遭遇するということは、自分の人生にとってとても良いステップだったように思います。そのような環境にいると、人としてとても謙虚になれるということはもちろん、回りのサポートや気遣いに対して、本当に感謝の思いが溢れてきます。

「恐怖をマネージする力」を身に着けると、世界の見え方は変わる


だからこそ今思うのは、「何かを手放す決断は本当に勇気がいること、でも結果的に手放してみると新しい成長やチャンスに出会うことができるかもしれないよ」ということです。そして、その際にとても大事だと思うことは「恐怖をマネージする力」だと考えます。


失敗するかもしれない、うまくいかないかもしれない、収入がなくなるかもしれない、ポジションを失うかもしれない、その恐怖というものは誰にでも存在すると思うのですが、そこで、一歩進めるかどうかは、その恐怖心をうまく自分でコントロールできるかどうかということです。


なぜなら、既存の大きな運命の流れの中で、自分の心地よい範囲でチャレンジする(チャレンジしていると思い込む)くらいの方がよほど安心感があるわけです。でも、その枠を飛び越えるには、自分自身で恐怖の存在を認め、でもそれは思っているほどのものではないハズと冷静に分析し、対処してあげる必要があります。


アメリカに身を置いてみると、自分が日本にいるころ、その恐怖そのものをより高く・より大きく見積もっていたのではないか?とも思います。それは「今まであるレールから外れるのが怖い」という恐怖です。そしてもしかしたらその恐怖は日本独特のものかもしれません。


アメリカで「人がひいたレールなんて存在しないよね」「レールなんて自分で引くものだよね」「後からでも、レールなんていくらでも修正すればいいよね」という空気感の中で生活すると、自分の心配していたレールとは何だったのか?!という気持ちにすらなります。人種・文化・宗教の多様性が重なり、この社会における「普通」とは何なのか?ということは、相当に広い定義である、もしくは、「世間が思う普通」な状態など存在しないように感じさせてくれます。


そう、恐怖なんていくらでも自分でマネージできるわけです。アメリカ2週間で、また一つ強くなれた気がしています。

この記事を書いた人
155naicai

▶︎ 女性のキャリア・生き方を考えるマガジン Wherever we are の管理人 ▶︎ ちょっと前までバリキャリ商社ウーマンでワーママ。2019年に起業、現在はアメリカ在住 ▶︎ 自身の東南アジア駐在、中国留学、アメリカ生活などの海外経験に基づき、海外経験から学んだ価値観も踏まえながら、キャリア・生き方・働き方など情報を発信中

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